摂食障害の体験談

 高校生の時、拒食症と過食症になりました。

 人生でトップクラスに辛い出来事でした。

 当時の様子、克服した経緯などを綴ります。

 

 

 

【過度なダイエットから、拒食症になった】

 私は高校生の時、糖質とカロリーを抑えた食生活で、減量に成功しました。

 当時の食事は、1日糖質10g以下、熱量500㎉以下でした。

 最終的には、キュウリと砂肝しか食べていなかったです。

 

 栄養失調で、頭は働かず、体力は落ち、無気力になりました。

 学習や趣味をする気力も、ありませんでした。

 高校にも通えなくなりました。

 

 ちなみに私は、食べることが嫌だったわけではありません。

 むしろ好きでした。

 スリムな体型のために、我慢していただけです。

 

 美味しい食事も、学校も、趣味の楽しみも、全部犠牲にしてでも、痩せ体型を守りたかったのです。

 

 しかし、数か月経つと、現状に辛さを感じ始めました。

 「色々なものが食べたい」、「学校や趣味を楽しみたい」などの、願望が出てきました。

 でも、食事制限を緩めたら、太りそうで怖くて。

 「止めたいのに、厳しい食事制限を続けてしまう。どうしたらいいの」という状態でした。

 

 医師に現状を説明したら、拒食症だと言われました。

 驚きました。

 「拒食症は食べるのが嫌で、ほとんど食べない状態じゃないの?

 私は、食べるの嫌じゃないし、3食、摂っているんだけど…」と。

 医師は「太るのが怖いから、過度な食事制限をする時点で、拒食症だよ」と言いました。

 

【拒食症から過食症へ】

 医師は「週に数回でいいから、好きなものを食べな。そのくらいなら、太らない」と、私に言いました。

 私は恐る恐る、今まで我慢していたスイーツを食べました。

 甘さが心身に染み渡り、幸福感に包まれました。

 

 好きなものを食べる頻度は、ドンドン増加しました。

 ある日、かなりの量を食べました。

 私は、太ることを恐れ、翌日、何も食べませんでした。

 次の日、体重計に乗ると、体重は増えていませんでした。

 

 ここから「1日食べまくり、数日絶食」のルーティーンが始まりました。

 病院の先生は、良くないと指摘しました。

 私は聞く耳持たず。

 「食べて絶食」は、食べまくっても体型維持できる方法で、止められませんでした。

 

 食べまくる日の食事量は、増加の一途を辿りました。

 ある日の食事は、こんな感じでした ↓

 

 朝  ブドウ1房、リンゴ1個、柿2個、煎餅の大袋、ポテチ2袋、クッキー1箱

 間食 牛乳1ℓ、フランクフルト、ケーキ3個、バナナ4本

 昼  串揚げ40本、カレー、ソフトクリーム2つ

 間食 菓子パン5個

 夕飯 キッシュ、特大パンケーキ

 

 嘔吐せず、全部、腹に収めていました。

 尋常じゃない自覚はあったので、家族に隠れて食べたりもしました。

 満腹でも、食べる快楽に抗えず、食べ続けました。

 この時点で、過食症だったと思います。

 

 過食は、連日続くようになりました。

 ヤバいと思いつつ、自制できずに食べ、罪悪感と自己嫌悪で号泣する日々でした。

  

【苦しい入院生活】

 過食を止められず、入院を決意しました。

 病院という、過食できない環境で徹底管理されれば、治ると思ったのです。

 

 入院初日から、困難は起きました。

 病院食に、食事制限で避けていた、糖質を含む食べ物が入っていたのです。

 「こんな食事では、ダイエット前の体型に戻る」と、尻込みしました。

 担当医は「摂食障害を治したいなら食べろ。病院食なら、食べても太らない」と言いました。

 信じて、私は病院食を食べ始めました。

 

 1週間後、体重測定が行われました。

 入院前より、2㎏増えていました。

 私は、多大なショックを受けました。

 担当医に「病院食は太らないって言ったのに、太ったじゃん!」と怒り、2週間絶食しました。

 点滴も受けず、カロリーゼロの飲み物だけ摂取しました。

 この時は、生命維持だけしているような状態で、ずーっと横になっていました。

 

 絶食期間を経て、体重は入院前より落ちました。

 それでも、病院食はなかなか食べられませんでした。

 

 しかし、外出時に、色々食べるようになりました。

 病院から出れば、飲食店や食べ物を売る店が、溢れています。

 見れば、食べたい欲が止まりませんでした。

 両親は、私の懇願を無視できず、食べ物を与えました。

 外出のたびに、過食するようになりました。

 

 ある日、担当医は私に突然、以下の条件を突き付けました。

 

 ・病棟から出てはいけない

 ・携帯没収

 ・面会禁止

 ・病院食を残さず食べ続ける

 ・標準体重に戻るまでは、退院させない

 

 担当医は、私の状態を見かねて、治療の強化に乗り出したのです。

 

 初日は「過食の心配がない環境で、病院食を完食するだけなら楽勝」と気楽でした。

 すぐに辛くなりました。

 体重が増えると分かっていて食べるのは、物凄く苦しいのです。

 しかし、食べて体重が増えないと、一生病院から出られません。

 苦しみながら食べ続け、退院を目指しました。

 娯楽が一切なく、味方もいない状況で、太る恐怖と戦い続ける生活は、地獄でした。

 

 命を絶とうとしたこともあります。

 コードで首を絞めたり、風呂で溺死しようとしたり、色々と試しました。

 しかし、毎回意識が飛びそうになると、怖くなり、死ぬのを止めてしまいました。

 死に逃げることができず、地獄の入院生活を続けるしかありませんでした。

 

 数か月後、週2回、面会や外出が許可されるようになりました。

 それでも、大抵は病院に閉じ込められました。

 

 私の心は限界でした。

 早く退院したくて、担当医や両親に「私はもう、太るのが怖くない」とをつきました。

 「学校に通いたい」という、もっともらしい理由を主張したかいもあって、私は標準体重に戻る前に、退院できました。

 

 中途半端な治り具合で退院したため、退院後も様々な困難に遭いました。

 

【退院後も、七転八倒

 退院後は、拒食や過食をしようとは思いませんでした。

 「あんな地獄は二度と嫌」という思いでしたので。

 ちゃんと食事を摂ると決め、病院食と同じ、1日1800㎉摂取していました。

 

 数週間後、体重が増加しました。

 「入院中と同じカロリーなのに、何で⁉」と戸惑いました。

 理由は、栄養バランスでした。

 同じ1800㎉でも、栄養バランスが良い食事と、悪い食事とでは、脂肪のつきやすさが異なるのです。

 

 私は、1日1800㎉を保ちつつ、夕食だけ低糖質にしました。

 体重は、みるみる減少しました。

 増加が止まったのは有難いですが、減少が続くのも不都合でした。

 定期的な診察で、体重測定があるからです。

 体重が退院時より減ると、再入院になりかねません。

 

 体重が減り過ぎた時は、測定前に水を4ℓ飲んで、4㎏増やしました。

 測定後、耐えられず、トイレで大量の水を吐き出しました。

 一気に、大量の水分を摂ると、体は拒絶するようです。

 その後は、洋服のポケットに重りを入れ、体重測定に臨みました。

 

 しかし、誤魔化せる体重には、限度があります。

 入院しない程度の体重を維持したくて、週1回カロリーを摂取しました。

 普段の食生活で減った体重を、チャラにしようとしたんです。

 

 高カロリーを摂る日には、よくパンケーキを食べました。

 (後から知りましたが、特定のものばかりを食べるのは、摂食障害の回復時期に、よくあるらしいです)

 太り過ぎるのが怖かったので、カロリーを大量摂取したら、長距離を歩きました。

 40㎞歩いた日もありました。

 

 そんな習慣を続けていたら、心身共に疲弊してきました。

 「何でもいいから、体重を気にせず、お腹一杯食べたい」と思いました。

 

 私は、低糖質の食品(肉、魚、低糖質の野菜)を、大食いする生活を始めました。

 長距離徒歩も並行したので、体重はドンドン減少しました。

 退院時どころか、拒食症の時より少なくなりました。

 定期的な通院は終わっていたので、再入院の心配はありませんでした。

 しかし、体重が減り過ぎて体の機能が低下し、命の危機に差し掛かりました。

 道端で倒れて、見知らぬ方に助けて頂いたこともありました。

 

 ある時、意識が朦朧として、すごく眠くなりました。

 「このまま意識が途絶えて、永眠するのかな」と感じました。

 その瞬間「このまま終わりたくない!生きたい」と強く思いました。

 

 私は経験を参考にして、太らず、痩せ過ぎず、たくさん食べられる食事を考えました。

 まず、魚を食べ、必要なカロリー摂取と、太らないための低糖質を実現しました。

 魚を選んだのは、良質な脂質を含むのも理由の一つ。

 低糖質ダイエットで懸念される、身体疾患のリスクが、減ると思ったのです。

 

 体重維持のためには、低糖質にし過ぎない必要もありました。

 そこで、野菜で多少の糖質を摂取しました。

 食物繊維が多い野菜なら、糖質を摂っても、太りにくいと考えたのです。

 

 この食生活で、太らず、元気に活動できる体重を維持できました。

 学習や娯楽に集中する余裕もできました。

 拒食症後、初めて、安定した生活を送れるようになりました。

 

摂食障害について思うこと】

 摂食障害からは、後々の人生に響く、大きな学びを得ました。

 そうと分かっていても、経験したくなかったほど、辛かったです。

 

 ひとつお伝えしたいのは、私の克服過程は、摂食障害の方すべてには、当てはまらないということ。

 他の患者さんは、入院直後から病院食を食し、順当に回復して退院する方が多かったです。

 

 私見ですが、摂食障害では「食べたくない」、「太りたくない」と思う理由きっかけ解消が、克服に繋がると感じます。

 例えば、インナーチャイルドを癒したり、自分を縛る価値観を捨てたり。

 人間関係や、学校仕事などが原因なら、それらから離れるとか。

 

 私の場合は、幼い頃、母親から体型の指摘を受けたことです。

 しかし、気が付いたのは、摂食障害になってから、10年後です。

 それまでは、摂食障害の原因は、瘦せ体型への憧れだと思っていました。

 「瘦せ体型に憧れたのは、なぜいつから」を考え、真の原因にたどり着きました。

 真の原因を解消するまでは、摂食障害治っても、食生活で四苦八苦しました。

 (詳しくはこちら ↓)

yuyuno-log.hatenablog.com

 

 

 もちろん、病院などを利用し、ひとまず拒食や過食行為を治めるのはアリです。

 余裕ができたら、過去の出来事や、現在の人間関係、生活環境などを見直し、摂食障害の原因を探るといいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中学生時代、別室登校だった

 私は中学3年間のうち、2年間が別室登校でした。

 自分と見つめ合い、悶々とした日も多かったです。

 しかし、かけがえのない学びもありました。

 そんな時期を、振り返ります。

 

 

【入学早々、教室に行けなくなった】

 私は、私立の中学校に入学しました。

 小学生の時は、教室に行けずに終わりましたが、新天地である中学校でならば、教室に通えると期待していました。

 (小学生の時のことはこちら ↓)

yuyuno-log.hatenablog.com

 

 入学早々、困難に遭いました。

 クラスの子と、全然親しくなれないのです。

 クラスでは、フレンドリーな子を中心に、次々と友達の輪を形成していました。

 1人でポツンといる私には、誰も話しかけません。

 私から、周りの子に話しかけたりもしましたが、会話が続きません。

 小学生時代の保健室登校などで、私の対人スキルが、下がっていたのです。

 

 1人でいる、寂しさと、羞恥。

 試行錯誤しても、友達ができない悲しさ。

 堪え切れなくなって、学校を休み始めました。

 

 両親は激怒です。

 私が「中学校では、頑張ってクラスに通う」と言ったのに、4月半ばで休み出したのですから。 

 連日、両親の叱責と私の泣き声が、ぶつかり合いました。

 両親に、車へ押し込まれ、学校の前で降ろされたこともありました。

 

 状況を変えたのは、教頭先生でした。

 彼は、私と父を、ファミレスに呼び出しました。

 私はアイスを食べながら、自分の心境を語りました。

 私が帰宅した後は、教頭先生と父だけの面談が行われました。

 

 翌日から、両親が私を責めなくなりました。

 どうやら、教頭先生の話が響いたようです。

 教頭先生のお子さんも不登校だったそうで、両親の心境に寄り添いつつ、私の気持ちを尊重するように伝えたらしいです。

 

 教頭先生の計らいで、校内の小さな個室に通い、自習するようになりました。

 滞在時間は、その日次第。

 この時の支えは、学校の門番さんでした。

 彼は、私が長時間学校にいた日には、褒めてお菓子をくれました。

 

 年が変わるまで、別室登校は続きました。

 2月頃、なんとか自分を変えたくて、思い切ってクラスに戻りました。

 そのまま1年生が終わるまで、教室で授業を受けました。

 

【クラスを楽しんだ2年生。だけど…】

 中学2年生は、年度初めから教室に通いました。

 新しいクラスは、気の合う子が多くて、充実した学校生活を送りました。

 楽しくて、学習も友人関係も頑張っていました。

 

 しかし1月頃、急に心の糸が切れました。

 楽しくて気が付かなかったのですが、色々頑張り過ぎていたようです。

 疲労が溜まり、ある日、きっかけもなく「もう無理…」となりました。

 

 私は、別室登校に戻りました。

 ショックでした。

 2年生は教室に通えて、「自分は成長した」と思っていたのに、また別室登校になったのですから。

 「私は、根本的に教室へ行けない、ダメな人間なんだ」と、落ちこみました。

 

【3年生は、ずっと別室登校】

 3年生は1年間、別室登校でした。

 この時期に辛かったことは、先生に「3年生は授業に出ないと、勉強についていけなくなる」と言われたことです。

 

 教室に行きたくない私は、必死に自習し、テストで高得点を取りました。

 授業を受けなくても困らないことを、証明したかったのです。

 思惑通り、私のテスト結果を見た先生は、授業を受けろと言わなくなりました。

 安心した一方、テストの点だけで、自分の良し悪しが決まる感じが、むなしかったです。

 

 その後も、先生からの小言を恐れて、自習に力を入れました。

 小言はありませんでしたが、自分の将来が不安で、悶々としました。

 「勉強ができても、大人になった時、働けなかったら困る。他人とうまく交流できない私が、就職できるのか」と。

 

 そんな日々の中、楽しい思い出もあります。

 途中から、2年生からの友達が、私と一緒に別室登校を始めたのです。

 友達とは、楽しく雑談したり、悩みや不安を共感し合ったりしました。

 

 その子の伝手で、クラスに行かない数名の子とも、交流しました。

 体育だけ参加する子や、平日昼間からカラオケやゲーセンで遊ぶ子などがいました。

 どの子も、生き生きとしていました。

 私は「中学生時代を満喫する方法は、多様なんだ」と知りました。

 

 また、私の学校は中高一貫でしたが、別の高校に進学する子もいました。

 「自分に合う学校に、移ってもいいんだ」と、目から鱗が落ちました。

 

 教室に行かない子たちとの交流は、ライフスタイル進路自由さを教えてくれました。

 

【中学生時代を振り返って、思うこと】

 当時は、教室に行けない自分はダメ人間だとへこみました。

 今は、そんなことはないと思っています。

 教室に通う子もいれば、教室以外の場所が合う子もいます。

 私は、教室以外の場所で、マイペースに自習するのが合っていたんです。

 

 自分に合うその生活で、かけがえのないのない学びを得ました。

 例えば、内観が得意になったこと。

 「なぜ教室に行けないのか」と、自分の状態を見つめ続けたからです。

 教室に通わない子たちから、学んだこともあります。

 「どんな方法だって、どんな生き方だって、本人が幸せならいいんだ」と。

 

 別室登校は、自分を支える能力や価値観を得た、大切な体験です。

 

 

 

 

 

 

小学生の時、不登校と保健室登校だった

 私は、小学6年生の時、学校の教室に行かない時期がありました。

 当時は辛かったですが、今思えば楽しかったことも、多々。

 そんな時代を振り返ります。

 

 

【ストレスが溜まり、学校に行けなくなった】 

 学校に行かなくなったきっかけは、学校と塾のストレスです。

 

 学校では新学期に、すべての友達と別のクラスになりました。

 楽しくない学校生活の中、淡々と授業を受けることが、苦痛でした。

 塾は、日数多いし、成績伸びないしで、心身の負担が大きかったです。

 

 そんな中で頑張っていたら、ある時プツンと切れました。

 心も体も疲れて、全部、投げ出したくなりました。

 学校も塾も休み、家に引きこもりました。

 

 【不登校の時は、常に不安】

 学校も塾も嫌になった私は、家からほとんど出ませんでした。

 「学校に行こう」という気はあったんです。

 でも、「嫌だ!行きたくない!」という自分もいて。

 行くか、行かないかで、葛藤して疲れ、結局「行かない」となる日々でした。

 

 両親は、学校に行かないことを怒ったり、過度に心配したりしました。

 家にいてもストレスがありましたが、学校や塾よりはマシでした。

 両親が仕事でいない間の自宅が、私の楽園でした。

 

 家では、アニメとゲーム三昧でした。

 楽しんでいたけど、心にはいつも不安がありました。

 

 学校に復帰できるかな?

 中学受験はどうしよう?

 大人になっても、家にこもって働けないのでは…?

 

 今後に対する不安は、止まりませんでした。

 引きこもる自分を責める気持ちもあり、気分が晴れない毎日でした。

 

 状況改善しようと、約10人のカウンセラーさんと話しました。

 カウンセラーさんのおかげで、両親の、私を学校に行かせようとする態度は、軟化しました。

 しかし、私が学校に行けるようにはならず。

 「こんなに色々なカウンセラーさんと会っても、学校に行けない。

 私は、本当にダメな人間だ」と、自己嫌悪に苛まれました。

 

 【楽しかった保健室登校

 引きこもり生活を始めて数か月後。

 学校から「保健室登校している子がいる。あなたも来ない?」と誘われました。

 保健室登校を始めたばかりの時は、行かない日が多かったです。

 半日だけ行ったり、保健室の前まで来て帰ったりする日もありました。

 

 1ヶ月後、朝から下校時間まで、通うようになりました。 

 保健室では、自習をしました。

 同じく保健室登校の子と、雑談や折り紙もしました。

 養護教諭の先生とも話が合い、保健室登校は楽しかったです。

 

 かたちはどうであれ、登校していたので、両親からの風当たりも優しくなりました。

 精神的に安定した状況で、自習できたおかげで、中学受験も合格しました。

 

 保健室ライフを謳歌したまま、小学校生活は終わりました。

 保健室登校という措置があって、本当に良かったです。

 

【当時を振り返って思うこと】 

 当時は、教室に通えない負い目や、将来の不安があり、楽しいと胸を張って言えませんでした。

 しかし、今思えば、引きこもりや保健室登校だからこそ、得たものがあります。

 

 「どうして自分は教室に行けないのか」と頻繫に考えたおかげで、内観が得意になりました。

 自習をする中で、自由に学ぶ楽しさを知りました。

 保健室で、友達や先生と交流し、穏やかで幸せな時間を過ごせました。

 

 それでもって、引きこもりや保健室登校があっても、大人になってから何も困っていません。

 

 小学6年生の頃の自分には、

 「教室でも、保健室でも、自宅でも、自分がいたい所にいていいんだよ。

 それぞれの場所ならではの、体験や学びがあるから。

 どこにいようと、そこでの生活を満喫しちゃえ!」

 と、伝えたいです。

 

 

 

 

 

 

体型のこだわりを捨て、食事制限を止めた

 私は以前、食事制限を10年以上、続けていました。

 理想の体型や健康に満足する一方で、窮屈な思いをしていました。

 思い切って、食事制限を止めたら生きるのが楽になりました。

 

 

【食事制限の辛い体験】

 私は、子どもの時から、痩せ体型執着がありました。

 拒食症にもなりました。

 (詳しくは、こちら ↓) 

yuyuno-log.hatenablog.com

 

 

 拒食が治った後も、体型へのこだわりは残りました。

 体型維持のために、食事制限を始めました。

 

 食事内容は、色々試しました。

 書籍やネット記事、健康に詳しい知人の話などを参考にして。

 低カロリー、糖質オフ、無添加酵素などにこだわり、食べ物の制約を重ねました。

 一時期は、豆腐と納豆と生野菜のみ食べていました。

 

 食事制限のおかげで、自分が納得する体型と健康は維持されました。

 しかし度々、「色々な物が食べたい」、「もっと沢山食べたい」という衝動に駆られました。

 耐えきれずに暴食し、自己嫌悪に陥ることが何度もありました。

 

 状況を変えたくて、栄養学に詳しい方に相談し、食事内容を改めました。

 それでも、暴食は頻発。

 そんな自分にストレスを感じ、暴食が加速する悪循環でした。

 

【暴食の原因は、心の問題】

 暴食に振り回されていた時、あるカウンセラーさんと知り合いました。

 その方と話して、暴食は心の問題から起きていると、分かりました。

 カウンセラーさんからは、インナーチャイルドを癒すことと、自分への愛を育てることをアドバイスして頂きました。

 

インナーチャイルドの癒し>

 インナーチャイルドは、ざっくり言うと「主に、子どもの時に負った心の傷、大人になっても、影響を与える状態」です。

 私は過去を振り返り、痩せ体型への執着が、幼い頃に母から、体型の指摘を受けたからだと気が付きました。

 

 母は当時、「今はギリギリ普通の体型だね。これ以上太らないようにしよう」と言いました。

 私は、自分の体に指摘を受けたことがショックでした。

 そして、太るのは悪いことだと認識しました。

 それが大人になっても残り、キツイ食事制限の原因になっていました。

 

 私は、過去の母の言葉で傷付いた心を、癒し始めました。

 自分の心に寄り添い辛い体験は終わったんだと、言い聞かせました。

 具体的には、こんな感じです。 ↓

 

 「体重を指摘されて、悲しかったね。誰よりもよく分かっているよ

 でも、もう終わった事なんだ。今は、体型にこだわらなくていいんだよ。 

 どんな体型でも、楽しく生きられるよ」

 

 最初、体型へのこだわりを捨てるのは、許せませんでした。

 そういう時は、「こだわりを捨てたいけど、まだ許せないんだね」と、許せない自分ごと、受け入れました。

 長年染みついた認識は、簡単には抜けず、自己嫌悪になることもありました。

 それでも、体型が気になったら、上記の言葉を言い聞かせるのを、繰り返しました。

 

<自分への愛>

 自分への愛を育てるにあたったては、「自己受容と「本心に従うこと」をしました。

 

 「自己受容」については、どんな自分も受け入れることをしました。

 失敗したり、怠けたり、有言実行できなかったり…

 そんな自分も、無条件で受け入れます。

 

 いきなり全てを受け入れるのは、ムリでした。

 特に、「暴食した」、「体重が増えた」など、自分の中で大きな問題は、受け入れられませんでした。

 

 できる範囲から、自己受容を始めました。

 「ゴミ出しを忘れた」、「予定より買い過ぎた」など、自分にとって些細なことから、「まあ、いっかそんな自分もかわいいよね」と受け入れます。

 自分を受け入れられない時は、そんな自分ごと認めます。

 繰り返すうちに、受け入れる範囲が広がりました。

 やがて、暴食や体重増加が起きても、「そんな自分でOK」と思うようになりました。

 

 「本心に従うこと」に関しては、気持ちに素直になって行動しました。

 やりたいことをして、嫌なことはしません。

 これも、食事とは無関係な、許容できることから実践しました。

 「アニメを見たい時は見る」、「日課の掃除が嫌な時はやらない」などです。

 

 本心に従う範囲が広がると、「いつもより多く食べたかったら、食べる」など、持ちを優先して、食事制限を緩めるようになりました

 

 そうして数か月が経った頃、体型へのこだわりが薄れました。

 体に肉がついても、他人に指摘されない経験も重なり、「体型にこだわらなくて平気」という意識が、大きくなっていきました。

 体型を気にした食事制限も不要になりました。

 本心に従って、好きなものを食べるようになり、になりました。

 節制のストレスが無くなったので、暴食減りました

 

【現在の食生活は、自分を大切に】

 今の私は、好きなように食べ、楽しく気楽な食生活を送っています。

 カロリーや糖質は、ガン無視です。

 1日の食事回数や、1食の量も気まぐれです。

 

 ひとつ、お伝えしたいのは、私は食事管理を否定する気はありません。

 私は今でも、添加物が少ない食事を摂っています。

 太る恐怖ではなく、体を大切にする愛情から、基本的には添加物を避けています。

 あくまで、自分の本心が大事なので、食べたいと思ったら添加物入りでも食べます。

 食事で気を付けることも、許容することも、自分を大切したいという、が動機です。

 

 愛の動機に従うのは、食事だけではありません。

 生活のすべてのことで、意識しています。

 素直な願いに従い、息苦しいと感じる習慣価値観捨てると、生きるのが楽しく、快適になりました。